『信仰の回復』         ヨハネ21:1-19

 今日のテキストは、主イエスの復活から丁度1週間経った時の出来事です。この1週間で復活された主は、弟子たちに3度、現れています(14)。今日は「信仰の回復」というタイトルで、主から離れたペテロが、どのようにして主イエスに立ち返ったかを見てみましょう。

T.救いの原点
 「テベリヤの海べ」(1)はガリラヤ湖の別名です。弟子たちの何人かは、3年前、この湖で救われて召され、主イエスを師として従ってきました。しかし彼らは主の十字架後、福音宣教を止め、この湖に帰り、かつての職業に逆戻りしました。「しかし、その夜は何の獲物もなかった」(3)のです。朝方、疲れと空腹を覚えて岸に戻ってみると、復活された主は、「舟の右の方に網を下ろしてみなさい」(6)と勧め、彼らがその通りにすると153匹の大漁の奇跡が起こりました(11)。実は、この奇跡と似た奇跡がルカ福音書第5章に書かれています。あれから3年後、主イエスを裏切ったペテロたちは目的を失い、食べるためか、かつての職業に戻ってしまいました。しかし良く考えてみると、彼らの意志で漁師に戻ったとしても、実は主イエスが彼らをこの湖に導かれたのではないでしょうか。それは3年前の弟子たちの救いや献身を思い出させるためではなかったかと思うのです。弟子たちにとって食べるための湖であっても、主イエスにとっては救いの原点に戻すための湖であったのです。そのことを教えるために、あえてこの湖に導かれたのではないでしょうか。私たちも主イエスから離れたり、離れそうになったり、不信仰に陥ったりしたならば、自分の救いの原点に立ち返り、自分がどこから救われたかを思い起こし、信仰回復したいものです。

U.交わりの原点
 主イエスを完全に否定した弟子たちであっても、主は彼らから離れるお方ではありません。それが「夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた」(4)です。しかし、3度目(14)であるにもかかわらず、「弟子たちは、それがイエスだとは知らなかった」(4)とあります。一旦、主イエスから離れると、霊の目が曇り、主と認めることが出来なくなるのかも知れません。ルカ24:1参照。それであっても主は、彼らの側で見守り続けておられました。また、主イエスは岸に立っておられただけではありません。炭火にパンと魚を用意し(9)、弟子たちに今とった魚を少し持って来るように誘い、食事を共にしました。これは弟子たちに気兼ねさせないようにとの主イエスの配慮でしょうか。このように食を共にして交わりの原点に立つことによって罪の赦しを確認し、信仰の回復がなされたのです。黙示録3:20参照。この交わりの最中に、弟子たちは主であることに気づきました(12)。

 私たちも主イエスから離れることがあるかも知れません。そんな時であっても、主は私たちの生活の傍らにあって、静かに見守り続けておられることを覚え、救いと交わりの原点に立ち返って信仰回復を目指したく思います。
    

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